国は元々都市国家と呼ばれる小規模なものでした。農耕が成功して人口が増え始めると、都市は国際都市化し、他国の文物や人間、文化が集積するようになりました。こうした舶来の文化や知恵に憧れた人々はそれらの知識を記録するようになり、遂には一望のもとに表現する願望に駆られたのです。それが世界地図の原点でした。

world map

バビロニアの粘土板は紀元前700年頃のものですから円と直線で簡素に表現されていますが、バビロンと海、小アジア、ペルシア湾が全て描かれており、果てはユーフラテス川まで刻まれています。この時代のものとしては驚異的な水準でした。が、さすがの古代文明も海の向こうの陸地までは想像が及ばず、死後の世界とされたようです。

 

 

古代人は世界を平面と考えましたから、球形であるとは夢にも思いつきませんでした。民族が異なれば想像する「世界の果て」も異なり、山に囲まれていると考える者もいれば、海に囲まれていると考える者もいました。「巨人や象が大地を支えている」と空想したのもよく知られていますが、当時の科学知識の水準は低く、近代に入るまではこうした「空想地図」が当然の帰結だったと言えるでしょう。

天体

文明がさらに進むと、天体の運行に関心が向かい、暦が作られるようになりました。季節の繰り返しの発見は、自然から法則が剔出できるという研究動機に結びつき、ギリシアでは人文学に加えて自然科学の発想が盛んになりました。もちろんギリシアでさえ最初から世界の形(球形)を正確に把握できていたわけではなく、長らく架空の海洋が描かれました。その後の幾何学の発展は天文学に大いに貢献し、ピタゴラスやアリストテレスは球体説の萌芽を残しました。

 

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