中世の地図では3つの大陸が描かれました。上部にアジア、左にヨーロッパ、右にアフリカという布置で、エルサレムがその中心に置かれている点がいかにも中世的です。エデンの園まで記され、聖書に登場する地名が特記スポットでした。世界地図はタペストリーに描かれ、マッパムンディと呼ばれました。Mapの語源で、「世界の布」を意味します。マッパムンディにもバベルの等やノアの箱舟が描かれ、宗教色は脱色されませんでした。人魚やグリフィンまで書き入れられており、物語図さながらの様相でした。ですから装飾の美しいマッパムンディは部屋を飾る絵画のように、貴族がこぞって所蔵したのです。

我々現代人は北が上、南が下であることを当然だと考えていますが、地球の実際は球形ですから上も下もありません。方角の上下の感覚は実は地図に起因しているのです。プトレマイオスの地図も北を上にして描かれていますが、北半球を中心に描けば東西に伸びた図柄になり、加えて円錐図法を用いたことで、北を上にした方が対称的で安定した地図を作成することができたわけです。ところが面白いことに、中世では東を上に描かれました。TO図は上に楽園、下に俗界を描いたため、楽園があるとされていた東を上にしたのです。ただ中世も末期になると航海のための実用性が求められ、コンパスに合わせた海図では北を上にしたものが多くを占めました。

ところでイスラム世界でも地図が作成されたのですが、イスラム世界はキリスト教圏のヨーロッパとは異なり、ギリシアの科学的精神(合理性)を生かして独自の発展を遂げました。地図にもその影響が現れ、交易を通じて知り得た西アジア、インド、北アフリカが克明に描かれ、12世紀にアル・イドリーシーが大成しました。