ローマ帝国は繁栄したものの、永続することはありませんでした。4世紀に東西に分裂し、7世紀にはイスラム文化に浸食され、ギリシアの学問的風土も消失しました。侵入したゲルマン民族は文明化されていなかったこともあり、勢力を伸ばしていたキリスト教への帰依が多神教や自然崇拝を圧倒し始め、中世キリスト教文化圏が成立しました。そこではギリシア由来の科学やローマの工学は顧みられず、ひたすら聖書を読んで信じることが全てでした。

中世社会では聖書が真理となり、地図作成に必要な観察や研究は疎かにされました。地理学(自然科学)よりも神学が重用されたため、球体説は完全に否定されてしまったのです。さらに地上ではなく天上という信仰の世界が生活にも影響し、死後に天へ召されることを目標とするようになりました。もはや地上の形状などどうでもよくなったのです。地理学上は確かに暗黒の時代ですが、庶民にとっては平和な時代でもありました。地図が正確でなくとも幸せに暮らすことができたのですから、近代地図が作られて以降の動乱の時代と比較して、大いに考えるところがあります。

ただ現代に生きる我々にとって、地図の要らない生活は想像だにできません。なぜ彼らは地図と縁が無かったのか。中世ヨーロッパは封建制度が敷かれていました。荘園の中で一生を終える人々にとって、交易が重要な位置を占めることは無かったのです。そのためギリシアの投影法もローマの道路図も不要でした。唯一必要だったのは俯瞰図で、TO図と呼ばれるものが作成されました。実用的な進歩は全くなく、キリスト教の世界観を表すに過ぎないもので、オケアノスの海と円形の大地、地中海、ナイル川等が描かれました。