アジアの情報

アジアの情報

マルコ・ポーロは父と伯父と共にモンゴルに向かい、現地で長年仕えました。その後海路で帰国しましたが、戦争中にジェノバの捕虜となって投獄され、獄中で「東方見聞録」を執筆しました。当時のアジアの情報と言えばこの東方見聞録が第一に挙げられるでしょう。16世紀にポルトガルがアジアに進出するまでは大変重宝されました。アジアについての知識が増え始めると、地図の宗教色は次第に薄れていきます。ポルトラノ海図のように実用的な地図の需要が高まり、大航海時代の幕開けを後押ししました。また自分たちが妄信していた宗教を客観視し始めたことで、地理を正確に測量しようとする動機も芽生えました。イスラムやアジアの進んだ文化も元はヨーロッパ人が生み出したギリシア・ヘレニズム文化であることに誇りを持ち、ルネサンスの機運が熟したのです。この流れを一気に加速させたのは出版技術でした。グーテンベルクの活版印刷術は東方見聞録やプトレマイオスの著作を世に広め、学問的態度を啓蒙することに成功したのです。

続く大航海時代は発見の時代でもありましたが、同時に征服の時代でもありました。その点を忘れてはならないのですが、イベリア半島におけるレコンキスタの途上にもありましたから、最初は一方的な侵略行為でもありませんでした。海運に力を発揮したポルトガルはいち早く航海に乗り出し、東から黄金や香料を得ようとしました。絶対君主の地位を堅固なものとするためには、富を蓄える必要がありましたし、権威を維持する上でも海外への布教活動を目途としました。しかし当時は地中海を覇権していたのはイタリアの海港都市でしたから、別のルートを開拓する必要があったのです。

 

 

admin

1件のコメント

A WordPress Commenter 投稿日:7:10 am - 11月 21, 2018

Hi, this is a comment.
To get started with moderating, editing, and deleting comments, please visit the Comments screen in the dashboard.
Commenter avatars come from Gravatar.