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地図とデザイン

美しい地図を作成するためには、デザインのスキルを身に付ける必要があります。ここでは地図をデザインする時に気を付けたいポイントを紹介します。

第一に挙げられるのは「ネガティブスペース」の活用です。地図は目的地や現在地周辺を集中してみるものですから、誰であろうと見続ければ疲れます。ネガティブスペースは構図における不必要な情報や空白部分を指し、視線を休ませることのできる箇所です。

次に挙げられるのは「色による結びつき」です。作成者の色の使い分けが上手ければ、地図を利用する人は関連するものを瞬時に読み取ることができ、満足してもらえることでしょう。

三つめは「タイポグラフィー」です。文字のデザインと換言することもできます。構図を崩さない程度に目立つフォントにすることで、地図は格段に格好良く生まれ変わります。

四つ目は「ミニマルスタイル」です。地図を作る上で留意すべきことは、その地図の利用者にとって実用的(正確)かどうか、及び、素早く把握できるかどうか、でしょう。つまり機能性とデザイン性を兼ね備えた地図が優良だと言えるのです。方角や位置関係を違えず、スタイリッシュにまとめた地図は好評を博するものです。

五つ目は「縮尺」です。地図作成者の中には、注目してほしいスポットをどのように描けばよいのか、苦慮している方もいらっしゃるでしょう。縮尺を使えばそのスポットを無理なく強調することができます。縮尺を利用すれば地図の正確さが一定程度損なわれますが、迷わせない程度の強調は不快感を抱かせないはずです。

最後に挙げるのは「オーディエンスの知識」です。地図作成者は、その地図を手に取る者の目的を想像しながら作ることでしょう。例えば旅行者向けの地図であれば、有名スポットのイラスト等を書き入れることで上手く惹きつけることができます。

ビッグデータと地図

 

国土地理院は2017年、地図作成にビグデータを活用すべく、民間業者と協定を結びました。地図の精度を上げ、登山客に役立つ情報を提供するためとしています。実際、2018年には日本アルプスや屋久島の登山道が修正された地図がオンライン上で公開されました。これまでの地図製作は実見の測量に依拠していましたが、手間と費用が無駄ではないかとの指摘が寄せられていました。また当該企業はGPSを通じて登山客の移動経路をデータ化しており、そのデータを解析することで、これまでの地図に不正確な部分があれば修正できると考えていた地理院としては、見通し通りの修正を叶えることができたのです。登山道は天候や人為的な理由で、ルートや細部の情報が日々変わります。仮に雪崩や土砂崩れのような不測の事態が生じたとしても、ビッグデータを利用することで瞬時に地図を更新することができるようなりました。但し「スモールデータ」しか集まらないような箇所、すなわち登山客の少ないところは分析すること自体が難しく、今後の課題となりそうです。

確かにビッグデータの活用には上述したようなメリットがあります。しかし、しばしば問題視される「監視社会」を形成することにもなりかねず、メリットとデメリットを天秤にかけ、きちんと吟味する必要はあるでしょう。政府と民間とが個人情報を介して協力し合うのは気味の悪いことでもあり、GPSで登山客の一挙手一投足が探索できるという事実を軽んじることはできません。今やビッグデータの活用は急増しており、地図製作以外にも消費活動を中心に、我々の行動は監視されています。消費者としては需要に応じた商品やサービスを効率よく提供してくれる一方、内心まで覗き見られているような心地の悪さを感じた人も少なくないはずです。

 

 

アジアの情報

マルコ・ポーロは父と伯父と共にモンゴルに向かい、現地で長年仕えました。その後海路で帰国しましたが、戦争中にジェノバの捕虜となって投獄され、獄中で「東方見聞録」を執筆しました。当時のアジアの情報と言えばこの東方見聞録が第一に挙げられるでしょう。16世紀にポルトガルがアジアに進出するまでは大変重宝されました。アジアについての知識が増え始めると、地図の宗教色は次第に薄れていきます。ポルトラノ海図のように実用的な地図の需要が高まり、大航海時代の幕開けを後押ししました。また自分たちが妄信していた宗教を客観視し始めたことで、地理を正確に測量しようとする動機も芽生えました。イスラムやアジアの進んだ文化も元はヨーロッパ人が生み出したギリシア・ヘレニズム文化であることに誇りを持ち、ルネサンスの機運が熟したのです。この流れを一気に加速させたのは出版技術でした。グーテンベルクの活版印刷術は東方見聞録やプトレマイオスの著作を世に広め、学問的態度を啓蒙することに成功したのです。

続く大航海時代は発見の時代でもありましたが、同時に征服の時代でもありました。その点を忘れてはならないのですが、イベリア半島におけるレコンキスタの途上にもありましたから、最初は一方的な侵略行為でもありませんでした。海運に力を発揮したポルトガルはいち早く航海に乗り出し、東から黄金や香料を得ようとしました。絶対君主の地位を堅固なものとするためには、富を蓄える必要がありましたし、権威を維持する上でも海外への布教活動を目途としました。しかし当時は地中海を覇権していたのはイタリアの海港都市でしたから、別のルートを開拓する必要があったのです。