人間は古来より、己の生きている世界がどのように成り立っているのかに思いを馳せ、知的好奇心を絶やすことはありませんでした。加えて人間は動物の中で最も弱く、知能の高さが唯一の武器と言ってよいので、生き抜くためにも世界をより深く知る必要がありました。動物を捕獲するためにはそれらがどこに集まるのかをインプットしなければなりませんし、水の心配の無いよう、泉の近くに居を構えるための情報も得ることが大切だったのです。

こうした「情報」は「絵」によって人から人に伝えられてきました。例えばマーシャル諸島では、貝とヤシとを編むことで航路や海流を示し、航海の安全に用立ててきました。またアラスカでは立木を削って目印にしたと言われています。古代ではこのように身近なもので表現したのですが、時代が進むにつれて絵地図が多用されるようになりました。洞窟の壁画が世界各地で発見されていることは皆さんもご存知でしょう。見たものがそのまま描かれているものもありますが、記号を用いてコンパクトにまとめているものが愛用されたようで、この記号図が地図の原型となったのです。

農耕の時代になると、耕作や用水路を建設するために多くの人が協働するようになりました。次第に「少数のリーダーと多数の労働者」という権力関係が形成され、国家が出現します。国家は大衆の争いごとを調停する役割も担いました。例えば土地の境界を定めることは重要な公務であり、土地の測量が発展しました。これを記録したものが地籍図と呼ばれるもので、地図に「領地の宣言」という機能が加わりました。バビロニアでは粘土が用いられ、エジプトではパピルスが使われました。